消費と生産のメディア化 3
《ダラス》[ケネディ大統領が暗殺された米国テキサスの都市]ははてしない作品です。
テレビ化された娯楽が完全なものであるためには、今流れている時間をしりぞけて、世界のさまざまな制約を忘却した瞬間へと、そしてなによりもまず死を忘却した瞬間へと人びとを集中させなければなりません。
連続テレビドラマの時間、直線的時間のシミュレーションは、いかなるものにもけっして終わりはないという印象をあたえることによって、時間を厄払いするのです。
記録映画の衰退、報じられた事実の影響について説明も視点もまったく抜きにしたいわゆる全般的な情報の高速処理・・・
いわゆるニュース速報のインフレーション、これらは「たんに忘却と反復を生産するだけでなく、惰性を生産する」のです。
テレビが常連の視聴者にとってみずからのうちに閉じこもるものであることは、いまや疑いがありません。
テレビ受像機の前に座った(あるいは寝転んだ)人は、テレビ画面の映像を糧にするのではなく、テレビ画面と自分との関係を糧にして生きるのです。
技術の力によって、わたしたちは鏡の反射作用のなかの共存を消費することができるようになったのです。
この反射作用はナルシシズムを大量に生産します。