テレビ化されたコミュニケーション
消費者にとって読むことも書くこともできずにただ「眺める」ことで満足するというのはむずかしいものです。
もっとも、近年における文盲状況の高まりはもっぱらテレビの洪水を糧としており、そのために眺めること以外の形態の努力なしの情報と誤楽がはぐくまれているのですが・・・。
ましてイメージの生産者にとって、みずからのメッセージを事前に、あるいは事後的に、言葉や文字で解釈せずに済ますことはさらに不可能です。
それゆえテレビは、メディア生産の構造をみずからを引き立たせるように再構成するのです。
メディア生産を独占しようという期待を抱くわけではなく、その他のコミュニケーション様式を二次的な役割に引き下げましょう。
・・・すくなくとも、それらの最終消費に関するものについてはそうであるという当然の意欲をもってメディア生産の構造を再構成するのです。
たとえば、話し言葉(パロール)の発展は、言葉によらないコミュニケーションですが、言語体系(ラング)のコミュニケーションよりもはるかに直接的で多義性のすくないコミュニケーションを付随的で非常時の役割へと還元しました。
おそらくいつの日か、わたしたちは電気が故障するという圧力のもとでしかもはや書くことがなくなるでしょう。
ついで、学校と家族が構成していた伝統的な教育形態に対する勝利が一層確かなものとなります。